浄土真宗 > 念仏称えたら助かるの?
念仏さえ称えたら助かるの?
浄土真宗は「念仏称えたら救われる教え」
とみんなに思われています。
本当にそうでしょうか。
以前はこんなことが高校の教科書にまで書いてあったこともあります。
これが浄土真宗かどうかは、親鸞聖人の教えを
全く自分の考えを入れず、簡潔に分かりやすく教えられた
蓮如上人に聞いてみましょう。
浄土真宗の朝晩のおつとめで正信偈の後に拝読される
非常に有名な「聖人一流」という御文章の中に、
浄土真宗の教えすべてが記されています。
その冒頭です。
聖人一流の御勧化のおもむきは信心をもって本とせられ候
(聖人一流の章)
「聖人」とは、親鸞聖人です。
蓮如上人が「聖」の字を使って聖人と言われた場合は、
親鸞聖人に決まります。
法然上人とか覚如上人の時は、
蓮如上人は「上人」と書かれますが、
親鸞聖人の時は「聖人」です。
「聖人一流の御勧化」とは、
親鸞聖人90年の教えのすべてです。
「今から聖人の教えのすべてを書くからね」
とおっしゃっています。
「信心をもって本とせられ候」
「信心一つで助かるんですよ」
とおっしゃっています。
阿弥陀仏に救われて浄土往生できる身になるのは、
信心一つなのです。
仏教の目的は、浄土往生です。
これが、仏教の教えの目的であり、
私たちが親鸞聖人のみ教えを聞く目的も、
これ一つです。
「信心一つで助かるんですよ」
これを漢字4字で「信心為本」といいます。
「信心をもって本と為す。」
これを「信心正因」ともいいます。
親鸞聖人の教えは「信心正因」です。
聖人一流の御勧化のおもむきは信心をもって本とせられ候。
まず、蓮如上人は、
「念仏為本じゃないんだよ。
浄土真宗の教えは、信心為本なんだよ。」
と教えられています。
御文章にはこのように繰り返し記されています。
世間に沙汰するところの念仏というは、ただ口にだにも南無阿弥陀仏と称うれば、助かるように皆人の思えり。それは覚束なきことなり。
(御文章3帖目2通)
口に念仏称えれば助かると思っているけど、間違いだ。
ただ声に出して念仏ばかりを称うる人は、おおようなり。それは極楽には往生せず。
(御文章3帖目3通)
いくら念仏称えていても、阿弥陀仏の救いにあえませんよ。
浄土往生はできませんよ。
世の中に人のあまねく心得おきたるとおりはただ声に出して南無阿弥陀仏とばかり称うれば、極楽に往生すべきように思いはんべり。それは大きに覚束なきことなり。 (御文章3帖目4通)
念仏称えていても、浄土往生できませんよ。
それは、なぜかというと、信心をもって本とする。
蓮如上人教えておられます。
「声に出して南無阿弥陀仏と称えれば、助かると思っとるけど、
それは間違いですよ、信心ですよ。
だから「信心をもって本とせられ候。」
世間中の人が、思っていることを、
「間違いだぞ、それはー!」
ものすごいことをおっしゃっています。
では、念仏は何なのでしょうか?
浄土真宗では、念仏は救われたお礼の念仏です。
ですから、聖人一流の章にもこのように教えられています。
その上の称名念仏は如来わが往生を定めたまいし御恩報尽の念仏と心得べきなり
(聖人一流の章)
「信心正因 称名報恩」
といわれます。
いくら念仏称えていても、助かりません。
信心一つです。
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よくある5つの質問
1浄土真宗と浄土宗の違い
浄土真宗と浄土宗はどこが違うのでしょうか。
浄土真宗は他力の仏教です。自力の仏教である、天台宗や真言宗や禅宗などとは、どこが違うのでしょうか。
浄土真宗の、西本願寺と東本願寺というのは一体何が違うのでしょうか。
法名は、死んだ人につけられる名前だと思っていませんか?大変な誤解です。
浄土真宗では、お仏壇に位牌は置きません。
年中最大行事
浄土真宗では、毎年親鸞聖人のお亡くなりになられた11月28日を中心に
「報恩講」が催されます。
「報恩講」は、親鸞聖人の御恩に報いる集まりです。
親鸞聖人の御恩に報いるには、親鸞聖人が願っておられることは何か、まず知らねばなりません。
親鸞聖人の教えてゆかれたことを聞かせて頂き、その通りにさせて頂くことが、もっとも親鸞聖人が喜ばれることです。
報恩講は、浄土真宗の年中最大行事です。
